新元号発表されましたね!
令和。
大正といい昭和といい平成といいなんとなく四角い字が並んできたように思いますが、令和はどことなく四角さが抜けて字面からも柔らかさを感じます。
令和の由来は万葉集にある一編の和歌よりきています。
令和に込められた意味
これまでの日本の元号は、史記など中国の古書から取られてきていました。しかし、今回の令和で初めて国書である万葉集が由来となりました。
令和には「 人々が美しく心を寄せ合う中で、文化が生まれ育つ 」意味が込められているそう。
万葉集自体、天皇から農民まで万民の歌が収録された書。日本の元号を決めるのに、日本の文化を象徴する書たる万葉集ほど相応しい国書はないのかもしれません。
実際に由来となった和歌にちなんで、
が込められているとは、新元号 令和が発表された際の安倍首相の談です。
令和の由来
令和の由来は、万葉集に収録されている和歌、というか32首の和歌の序として書かれた詩「 梅花の歌三十二首幷に序 」にあります。
これまでの元号は史記など中国の古書から取られてきましたが、今回の令和で初めて日本の国書である万葉集が由来となりました。
残念ながら(?)、早稲田大政治経済学部の川岸令和(かわぎしのりかず)教授とは無関係です。
実際の万葉集では「 梅花の歌三十二首幷に序 」のあとに32種の和歌が続きます。
(梅花の歌三十二首幷に序の書き手は不明ですが、山上憶良 / やまのうへのおくらとの説あり。私自身そこまで万葉集に詳しいわけではないのでその辺りの議論は専門家のみなさんにお任せするとして)
由来となった部分
「 梅花の歌三十二首幷に序 」のなかでも令和の由来となった部分が以下。
このうち「 令き月、気淑く風和み 」の部分が新元号 令和の由来に。
これを現代語に訳すとこんな具合です。
「令」は令き月(よき月)を意味する部分から、「和」は風がなごやかにの部分からとられていますね。
きっと和やかで令き時代になって欲しいとの願いも込められているのでしょう。
なお、現代語訳は佐佐木信綱著 万葉集(現代語訳付)を参考にしました。こちらの本も現代語としては少々わかりにくかったので若干手を加えています。
令和 由来の詩 万葉集全文
梅花の歌三十二首幷に序
天平二年 正月十三日、帥の老の宅に萃まるは、宴会を申ぶるなり。
時に初春の令き月、気淑く風和み、梅は鏡の前の粉を披き、蘭は珮の後の香を薫らす。
加以、曙の嶺に雲移りては、松、蘿を掛けて盖を傾け、夕の岫に霧結びては、鳥、縠に封めらえて林に迷ふ。
庭には新しき蝶舞ひ、空には故つ雁帰る。ここに天を蓋にし、地を座にし、膝を促け觴を飛ばす。
言を一室の裏に忘れ、衿を煙霞の外に開き、淡然として自ら放に、快然として自ら足りぬ。
若し翰苑にあらずは、何を以ちてか情を攄べ む。詩に落梅の篇を紀せり。古と今とそれ何ぞ異ならむ。宜しく園の梅を賦みて聊か短詠を成すべし。
令和 由来の詩 現代語訳文
天平二年 正月十三日、帥の老の宅に集って宴会を開いた。
時は初春のよい月で、気候はよく風はなごやかに、梅はあたかも鏡の前の美女の白粉のごとく麗しく咲き、蘭はまるで佩香(においぶくろ)の後にいるような薫香を発しておる。
そればかりではなく、曙の嶺は雲を往き交わせ、松の枝は雲のうすものをかけ、きぬがさの枝を傾けたようであり、夕方の山の洞には霧が立ちこめ、鳥は鳥網のごとき霧にさえぎられて、塒を求め得ず林の中に迷うておる。
庭には新に生れでた蝶が舞い、空には去年来た雁が帰ってゆく。
この庭に、天を蓋にとりなし、地を坐席として宴楽し、互に膝を近づけて盃を取りかわす。
興に乗じてはいうべき言葉をも忘れ、而して互に胸襟をひらき、外景を眺めてうちとけ、心しずかにとらわれるところなく、快くして自ら満ち足りておる。
若し文章によらなかったならば、何を以って情をのべよう。
毛詩には「落梅」の篇を載せている。古え今といえど、何の相違があろうか。我々も宜しく園の梅をうとうて、短歌に裁るべきである。
万葉集(現代語訳付) / 佐佐木信綱 より引用
まとめ:新元号 令和の意味と由来 出典の万葉集和歌全文&現代語訳
- 新元号「 令和 」は万葉集の「 梅花の歌三十二首幷に序 」からとられた。
- 「 時に初春の令き月、気淑く風和み 」より。
- 現代語では「 時は初春のよい月で、気候はよく風はなごやかに 」という意味
4月1日発表でエイプリルフールなうえに、天皇陛下が譲位されての改元だったのでお祭り騒ぎでしたが、無事発表されてなにはともあれよかったです。
エンジニアのみなさん、切り替え頑張ってください。
※本記事は姉妹サイトの腹ぺこクマが踊りだすより移植したコンテンツです。
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